「味のある人たち」
数年前に惜しくも廃刊になってしまった月刊誌『カトリック生活』の2021年7月号には、古巣馨神父の味わい深い原稿が掲載されていました。五島の若い漁師たちが祈りに生きる修道院のシスターたちを、「鰹節のごと味のある人たち」と呼んでいるというお話しです。
それによれば、鰹節を作る時、鰹は捌かれ、熱い湯で煮られ、煙に燻され、天日干しされ、なんとカビを付けられて、乾燥され、熟成されていき・・・まだ終わらないのです。その後もまた何度も天日に干されると、今度は削られることになる。小さくされ元の姿を失った時、ようやく素晴らしい風味をもち、他の具材を引き立てるお出汁になります・・・その黙想から神父さんはこう書き表しておられました。「姿をなくしたとき、人はその深みと豊かさの元を尋ねるのです」と。
私たちの人生にも、鰹が自由に暖かい南の海を泳いでいたと思っていたところから急に引き揚げられるように、思いも寄らない出来事が飛び込んできます。出来事の意味は「鰹」の身にはわからないのですが、旅の途上において、ときに試練に遭遇し苦悶する時、どのような歩みの進め方になったとしても、今、私たちの創造主なる神という職人が手塩にかけてこの人を作ってくださっているのだ、どんどん味わい深くされていく時なのだと、誰かが一緒に信じて祈り受け止めてくれるだけで、人は生き、変わり続けることができます。
教会は特別にその使命を与えられた仲間です。その仲間と一緒に聖書を開き、今ここを生きる自分の物語として共にその語りに聞き始める時、そうして互いの命が分かち合われ始める時、もう既にあなたは新しく生まれ、世界もまた一歩、神の完成に近づいているのです。